美・乳癌(乳がん) ステージ2戦闘記 binyugan’s diary

乳癌と共に生きるってこと。考えてみたらこうなった

82.駅伝当日はどうなった?

駅伝の参加を決めてからは、

会社帰りに歩いてはちょっと走ってみる、

歩いてはまた走ってみるなどしながら、

もたもたやってる内に、

当日になってしまった。

 

先生の苦言を守るべく、

アキレス腱だけは切らないように、

テーピングで足首をぐるぐる巻きにして固定(やり方はググった)。

 

駅伝だから、第4走者として、

最終ランナーにしていただき、

制限時間をいっぱい使って

3㎞を走ろうと覚悟を決めた。

 

はい、

結果は、

前走者の記録を

私が食いつぶすということで、

米軍基地の倉庫群の

観客のいないところを

ぜいぜいしながら歩き、

抜かされながら、

ゴールまでなんとか走って、

テープを切ることになった。

 

ゴールには、

前走の皆様が心配しながら

(順位を気にしながら)、

待っていてくれて、トホホ。

 

たった3㎞も、

私、途中歩きました(ごめんなさい)

告白をしたのに、

温かく迎えてくれました。

 

ところで、このたったの3㎞は、

私にとって、術後の大きな挑戦でした。

(駅伝だから)

前走者3人からの黄色いタスキを

受け取って走るのですが、

走るのが遅くて、

前走の方々の記録を無視して、

迷惑をかけたけど、

なんか吹っ切れたんです。

 

走ったら、

ボテボテの「ごめんなさい」だったけど。

 

なんかここまでいろいろあったけど、

普通の人たちのところに

戻ってきたんだなって。

 

すべてが元通りじゃないのだけど、

できたじゃんって。

 

幸せの黄色いハンカチではないけど、

この『黄色いタスキ』は

私の回復のお守りとしていただいてきました。

 

参加する気はさらさらなかったけど、

無理やり誘ってくれて、

ありがとう『同僚』なのでした。

 

これ以来、実は、

走っていないけど、

結果、

走っちゃったりできたんだから

なんでもいけるんじゃない?

という気になりました。

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